饒かな舌

Mother Tongue

『怠惰への讃歌』バートランド・ラッセル著

怠惰への讃歌 (平凡社ライブラリー)

怠惰への讃歌 (平凡社ライブラリー)

*怠慢への怒り

 就活ですでにうっすらとでも気づいたことは、数年以内に現実になる。なぜならそれはその人にとって正しいからだ。労働についての人生計画は、どの若者にも共通する個人的な課題である。こう生きなければならない規範をもたない自由な時代だからこそ、誰もがあたまのどこかで考えている。

 現代日本の豊かさは飽和点に達している、といわれると違和感があるだろうか。若い世代ほど実感をもって肯定すると思う。清潔で、便利で、美しく、おいしいものを、早く、安く、簡単に、消費して暮らしているこの現実が持続すれば、充分豊かである。たとえば、このインフラが持続するよう維持管理する職に就ければ。

 本著はケインズとしばしば議論を交わした論理哲学者ラッセルの随筆である。半世紀以上前に100年後の未来を見据えて書かれたものである。交通によって各地が短時間でつながり、世界中からのメールに追われる時代に働く誰にとっても、本著の論旨は腑に落ちる。

 技術の急速な発達で生産性が向上したのに以前と同じように労働していたら、行き場のない商品と行く当てのない失業者が生まれる。社会の格差を避ける方法は、組織立って労働時間を短縮すること。生まれた余暇を知識や美の創造や交友に使う暮らしこそ、技術者たちが思い描いてきた社会だった。現代はそれが実現した時代であると。

 正規か非正規かという労働形態の極端な選択を強いられる就活生は、なんとなく煽られて正規を目指す。ほしいものがたくさんある人には線形に上昇する給与体系が必要だ。旅行がしたい、都内の高層マンションに住みたい、子供を私立の学校に入学させたい、などなど。しかし贅沢に財を大量消費する生活に魅力を感じなくなれば、定型の昇進コースにこだわろうと思わなくなる。

 大抵のものをつくれる技能を育てれば、つくられたものを買うだけでなく、素材を買ってきて、つくって、楽しい時間を過ごせるのだ。学生時代に描いた人生の副計画を、入社からの俸給で試しにぼちぼち移行してきたなら、汲々とした都会から離れる準備もできている。

 国は自殺者が多く貧困層は増え幸福を感じにくい社会構造を堅持しているが、その線路に乗り続けられる人は、すでに労働者人口の半分もいなくなっている。変えるべき構造を放置している間に、国を支える人の数もじりじりと減っている。国ができることとそうでないことの界面が、弱者になるほどみえてくる。

 社会システムを思想レベルで読み込める余裕がないゆえの忙殺は、路線の乗客ひとりひとりに余暇が少ないことに由来する。いったい、経済成長のスピードを重要な命題と設定しつづけることは許されるのか。徒歩の散策こそ脳を整理し身体を健康に保つ秘訣ではないか。

 このような労働生活の実態を感じた就活生は次々に、少なめの収入を稼ぐだけで充分豊かに暮らせる生活者を目指していく。退職した老年者たちも知っている、真の国力とは余暇を楽しめる力にほかならないのであると。快速を好むエリートたちの怠慢への怒りから一歩引いた豊かさである。