饒かな舌

Mother Tongue

『ほんとうの復興』養老孟司ほか共著

ほんとうの復興

ほんとうの復興

*ツナミに嘗められて

 松本盆地では、東西でゾウムシの分布が明瞭に分かれるという。東ではイタドリの葉にくっついているのを見かけるが、西のイタドリにはまったくいないそうだ。なぜかについては不明であるが、確かなことは、東西を分ける境界線が、糸魚川静岡構造線であることだ。

 プレートの境界に棲む虫は、幾度の地震に適応した暮らしかたを選んでいる。地質環境が多様性のある生き方を生んできたが、これは人間についても当て嵌められる。ツナミという語を知らない地域の人は、地震がどのような現象であるかよくわからない。山のない平らな民がハリケーンの凄まじさをわからないのと同じだ。

 虫の棲息分布に興味をもつ著者は、戦後の高度経済成長から学園紛争、長期不況に至るなか、数奇な人生を選択した。普及している安定した行路に飛びつき、日々うとうとと過ごす国民に対し、互いに話が通じない壁の存在を指摘しつつ、呆れてみせた。同族意識で甘くなる生活のなか、いじめに代表される歪みが生じている社会を、解剖学のメスで一刀両断したのだ。

 天災は平等にやってくる。2030年代に、東京をはじめとする現在の大都市圏一帯に大きな地震が来る。どこに津波が来て、どのくらいまで浸水し、どのインフラが壊れて使えなくなり、食料をどのように確保しながら避難すればよいか。地震予測は難しいと思っているだけは済まない事態が、地震の周期則から予測されている。

 舗装された道路の下で多くの植物の種が頭を挫かれているなか、震災後に露わになったコンクリートの基礎を尻目に莽々とした雑草たちは、積年の恨みを晴らすかのように茂っている。のっぺらとした平面で囲われた建物は鈍重な骨組みを残してすべて流されたが、鳥たちは軽々と集まって以前にも増して楽しそうに暮らしている。

 いままで意識の奥で排除し、差別さえなんとなしに行い、真剣に考えなかった人ほど、痛い目に遭うときがくる。東北の人々が東京に対して思っていたことも、これとそう変わらないだろう。東京人がなんとなしに使っている電力は、福島や新潟など、地震がいつ起こるかと冷や冷やするゆえ備えて暮らす、落ち着いた地方の原子力発電所で生まれたものだ。

 今からでも遅くない。過去の諸賢に学び、当時の暮らしぶりを歴史的に知り、世界の建物と生活を通して必要な物資をもう一度検討してみることは、来る津波から生き永らえたい人には役に立つ。大震災の現地を訪れ、波に浚われた土地を歩いたり、地元の方々の暮らしを傾聴するだけでも、近い将来に激変する生活へ向け、心理的な準備ができる。

 苦しむ人々が蓄積する体験は、突然に当事者となった人に、希望を魅せてくれる。予め苦しまないようにする知恵は既に与えられている。希望をくれる知の巨人は、本著のなかだけでなく、実はとても近所にも住んでいるかもしれない。世相をうつす他所事は、ほんとうに胆を嘗めた、半端な波の記憶であった。