饒かな舌

Mother Tongue

『Future Beauty』日本のファッションの未来性展

Future Beauty

Future Beauty

*名の無い時間

 渋谷のスクランブル交差点を歩くと、電子の来歴に思いが巡る。交差点を行き交う人々にはおのおの名前があり、みなそれぞれおしゃれである。しかし物理学では粒子たちを区別しないことになっている。チャームやストレンジなど、50種類余りの呼称で分類されてはいるものの、「チャームい」や「チャームろ」のように粒子の個性に名前がついているわけではない。

 一杯のコップに鉢合わせた水分子たちは、「ぼくは太平洋と対流圏をずっと往来していたのさ」「わたしは1人のおばあちゃんの体内で長いこと暮らしていたの」と、長い旅路を互いに語り合っているのだろうか。それとも「おれたちは4億年前に生まれて以来ずっとH-O-Hのままだぜ」「この子はさっき生まれたばかりなのよ」と存在してきた時間を尊重するように敬意を表し合っているのだろうか。

 おしゃれな渋谷の若者たちも、粧し装っていなければ、ただの毛の生えた肉塊である。みなが裸で過ごしていたら、誰もが同じに見えるので、人間はどんなにつまらなかっただろう。些細な違いでもよい、多様な格好の人々が1カ所で常時交差するからこそ、渋谷の雑踏は国際的な観光名所になっている。

 本著は日本のファッションシーンを彩るブランドの確立者を、作品とともに纏めた展示イベントの要覧である。名前の無い時代に名前に相当する固有名をたくさん作りだすことで確立した固有名がブランドであり、作りだされた固有名を身に着けて日々の差分を獲得しつづけることこそファッションなのだろう。

 固有名には名付けた親がいる。歴史上の偉人たちが名付けた概念たちの上に、社会の仕組みは築かれている。簡易なウェブ検索の普及によって、新出単語が誕生する速度は過去に類をみないほど加速している。けれども、名前が遍在する空間を人類が手に入れたのは、たったここ数十年のことだ。

 それまでは名前がまだ無い波乱万丈の個人史がたくさん埋もれたままの時代だった。ファッションに包んだ身体で固有名に囲まれた空間を歩くときの幸福とは、個人が誰かから認知されていることの安らぎである。「わたしはここにいるのよ」と。

 分子にも個性がある。原子核が纏う電子たちの軌跡は、充分短い時間で積分すれば個性的なはずである。そこに固有名を与えることができれば「電子たちによるファッション」が成り立つ。分子レベルで固有名を与えた人は新しい学問分野のブランドを確立できるだろう。

 雨ひとつにも多様な表現を抱える言語を話す日本人である。これから多くの自然現象にも日本語の名前は与えられるだろう。しかし名前で表せる空間が広がるにつれ、主人公たちの名前が無かった長大な時間の降り積もりのほうへ、つい思いを馳せてしまう、ある日の街角である。