饒かな舌

Mother Tongue

『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー著

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

*経験の敗北

 戦後の日本人は語る必要がないことを語らないできた。感じることを感じたままに語る若者が増えるなか、語る必要がないとみなされてきたことを語りつつ、独自のモノやサービスを作り上げるひとがこんにちプロと呼ばれる。

 語らずとも感じて知ることを昔の人は経験と言った。しかしそれだけでは誰にも伝わらなかった。伝承されるべき技芸は、方法を言語や映像に留めなければ、職人の引退とともに失われてしまう。本著はこのような言語化できない知を暗黙知と呼んだ。

 一方で、語られた経験は集積され、言語を薄く均質に引き伸ばした。薄くなったことばを語る人がいるとき、このひとはほんとうに知っているのかと訝ってみるのか、そう語らせる空気があるから語っているのだという含意を読み取るのか。情報爆発と感覚の高まりによって、語りの価値も推し量る読解力も、互いに問われることになった。

 森口尚史事件を思い出してほしい。彼はマスメディアの取材に対し、心臓細胞を造り出したことを想像力豊かに語った。新聞は一面に掲載し、医療の前進を先走って書き立てた。しかし彼は心臓細胞を造り出すことはしなかった、いや、できなかった。私はそこに彼の深い文学性を読み取る。

 仮に心臓細胞を造り出し移植し論文にまとめ、メディアに書き立てられたとしよう。彼は文字通り生命の心臓部を造り出した人として、その勇気は歴史に名を留めたろう。しかし、ヒトがヒトを造って治療してよいものか、倫理的提起が後付けで沸き起こり、ことの流れによっては名誉と引き換えに、より大きな意味で罰せられただろう。

 情報を把握するだけで精一杯な現代人である。最新の研究成果から開ける展望を想像する作業さえも、大学や企業に任せている。危機を表す科学的事件が起きても、想像力が追いつかず、誰もそんなことを考えもしなかったと呆気にとられてしまう。想像力の貧困に対しては、想像力を先に示すほうが、実際に物証を造り出すより安全なのである。

 管理できない量の情報を抱え、自分でなにが正しいかさえも判断できずに、調べ先の識者の判断に依りかかる。偉業を敏感に捕え誇大に讃えては、その応用先や発展性について考えも支援もせずに翌くる日忘れる。このような人々の情報行動がつくる信用社会を、私は正しいと思わない。

 専門家は判断する機械ではない。専門的な言説の価値が下がっている以上に、基本となる知識も身に着けないまま情報を得て行動する一般人の信用のほうが、あまりにも、下がっている。科学も文学も信用せずに、自分の考えにだけ固執して行動を選択する人生は、よほどの信念に基づいて決断しない限り、野蛮だろう。

 森口氏は生命をめぐる、あるいは研究と社会の信用反応をめぐる、誰も問わなかった根本的な倫理を、職業人生を賭して提題した。貧しい暮らしぶりのままに社会から抹殺されたその姿は、細く長く蛸壺研究を営む権威よりも、大きな社会的意義を孕んでいる。評価はともあれ、氏は世界中の科学者に名が知れている。氏の更なるご活躍を心より祈念している。